美術品に興味ない人にとって、美術品を学んだり触れ合ったりする機会は学校での美術の授業だけになるのではないでしょうか?そのため、学校の授業でちゃんと学んでいなかった場合は、大人になってから美術品を見たときに誰の作品でなんという作品なのかわからないと思います。

よくクイズ番組で絵画の画像を提示されて「誰の作品か?」という問題がありますが、多くの人はレオナルド・ダヴィンチの『モナリザ』や『最後の晩餐』、フィンセント・ファン・ゴッホの『ひまわり』、ムンクの『叫び』などの有名な作品しか答えることができないのではないでしょうか?

また、作品名だけではなく作者もレオナルド・ダヴィンチやフィンセント・ファン・ゴッホ、ミケランジェロやパブロ・ピカソなどの有名な作者は聞いたことがると思いますが、例えば17世紀を代表するオランダの画家レンブラントや、ピカソに大きな影響を与えた近代絵画の父と呼ばれるフランスの画家ポール・セザンヌなどは作品だけではなく、この2人の画家の名前も聞いたことがないのではないのでしょうか?

美術館に展示される作品は全てが有名なわけではありませんが、“美術館の顔”と呼ばれる作品になると有名なものがほとんどです。

美術館に展示されている全ての美術品を覚えろとは言いません。ですが“美術館の顔”と呼ばれる作品くらいは覚えて欲しいものです。

ピーテル・パウル・ルーベンスは1577年~1640年の間を生きた画家です。17世紀(バロック時代)のヨーロッパを代表する画家の1人でもあります。

ドイツの北西部で生まれ、1590年の13歳の頃に芸術的素養を見込まれたルーベンスはアントウェルペン生まれの芸術家トビアス・フェルハーフトに弟子入りし、その後当時のアントウェルペンの主要な画家だったオットー・ファン・フェーンやアダム・ファン・ノールトに師事しました。

修行の内容は、イタリア人版画家マルカントニオ・ライモンディの銅版画やルネサンス期のドイツ人芸術家ハンス・ホルバインの木版画など先人たちの作品の模倣と模写でした。この修行は1598年21歳まで続き、やっと一人前の芸術家として芸術家ギルドの一員になりました。

1600年23歳になるとルーベンスはギルドの推薦状を片手に、古代と近代の巨匠の作品を現地で学ぶためにイタリアへと渡り、マントヴァへ向かったルーベンスは、ヴィンチェンツォ1世・ゴンザーガの宮廷に迎えられ、若くして宮廷肖像画家となりました。

宮廷肖像画家となったルーベンスは1601年にローマを訪れ、古代ギリシアや古代ローマの芸術作品を自分自身の目で初めて見て感銘を受けて、その後レオナルド・ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロら巨匠と呼ばれる芸術家の作品を見てその後のルーベンスの作品に大きな影響を与え、さらに当時のローマの画家カラヴァッジョの作品の高度な自然主義表現にも影響を受けました。

こうしてほかの芸術家から影響を受けたルーベンスは、人物の「重量感」や「肉感」の表現を得意とし、人物の激しい身振りや動きの多い劇的な構図、女神像などの豊満な裸体表現などバロック絵画の革新的な表現の作品を多く残しました。

ルーベンスの代表的な作品は、アントワープ大聖堂にある三連祭壇画『キリスト昇架』『キリスト降架』『キリスト復活』や主祭壇を飾る『聖母被昇天』などがあります。

このアントワープ大聖堂にある作品は、日本でも一時期話題になったことがあります。アニメ『フランダースの犬』の主人公であるネロが毎日訪れて祈りを捧げていた絵が『聖母被昇天』で、ネロがどうしても見たがっていて最終回の死ぬ直前に見れた絵が『キリスト昇架』『キリスト降架』だからです。

ウジェーヌ・ドラクロワは1798年~1863年の間を生きた画家です。19世紀フランスにおけるロマン主義を代表する画家の1人であり、最大の巨匠でもあります。

フランスの首都パリ近郊のシャラントンで生まれ、1817年の19歳の頃から新古典主義の画家ピエール=ナルシス・ゲランのアトリエで絵画を学びはじめました。

1822年の24歳の時に『ダンテの小船(地獄の町を囲む湖を横切るダンテとウェルギリウス)』でサロン初入選を果たし、その後も26歳で『キオス島の虐殺』、29歳で『サルダナパロスの死』を描き、ロマン主義者のほかの画家たちから注目を浴びるようになりました。

ドラクロワは34歳の頃、政府使節団の一員として北アフリカへと行き、アフリカの大地に降り注ぐ強烈な太陽光から色彩と光の重要性を発見し、フランスに帰国後『アルジェの女たち』など次々と作品を描きあげました。

1855年の57歳の頃に開催されたパリ万博では大きな功績を残し、2年後の1857年にはフランス美術アカデミーの会員にも選出されました。

晩年は病に侵されながらも「まだ私には400年先までの仕事が残っている」と69歳で亡くなるまで絵の制作を続け、まさに生涯を絵だけに捧げている人生でした。

現在ドラクロワのが絵を描き続けた自宅兼アトリエ、国立のウジェーヌ・ドラクロワ美術館となっています。

ドラクロワの代表的な作品は、『民衆を導く自由の女神』や『アルジェの女たち』、『フレデリック・フランソワ・ショパンの肖像』や『キリストの埋葬』などがあります。

特に『民衆を導く自由の女神』は1830年に起きたフランス7月革命をテーマに描かれた作品で、日本の小学校や中学校の歴史の教科書にも載っているとても有名な作品です。

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